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    タグ:父

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    1:2012/07/22(日) 18:32:37.42 ID:
    幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
    母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
    土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

    娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
    遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

    ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
    プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

    野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
    招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
    なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
    ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
    母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

    俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
    新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
    やることもできた。
    そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
    「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

    泣けるコピペとかあんのかよwwwwwwwwwwwww →続きを読む

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    1:2014/06/07(土) 20:06:12.93 ID:
    娘(7)「10時45分じゃないからね!パパはおっちょこちょいだからなぁ…」

    娘が可愛すぎて困る

    娘(7)「パパ、授業参観は9時45分からだからね!」 →続きを読む

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    1:2014/08/02(土)02:16:28 ID:
    幼少期
    泳げないおれを大人用プールに放り投げる
    →溺れてるおれを周りの人が助けてくれたもう少しで死んでた
    自転車補助輪なしで離さないでっていったのに離した
    →電柱に激突して頭縫った

    うちの親父の残虐な行為を発表してく →続きを読む

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    1:2011/08/08(月) 08:10:50.68 ID:
    今日はわざわざ有休とったオヤジ
    昨日は「若く見えるようにしてくれぇ」って服屋と美容室を案内せよと俺を市中引き回し
    オヤジは一睡もできなかったらしく、シャワー浴びておめかししたら居間でなにか唱えはじめた

    一方、かーちゃんは通常運転中


    彼氏来たら、オヤジが心臓発作起こしそうなくらい緊張しててなんかかわいい///

    【頼もう】今日、姉の彼氏が結婚を申込にきます →続きを読む

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    134:2006/03/22(水) 21:32:38 ID:
    私の父が男手一つで私を育ててくれました。
    母の居ない私に父は、寂しい思いをさせまいと必死だったと思います。

    いろいろと体の違いや考え方の違いもありますし、
    男の父が女の私を1人で育てるのにはかなり苦労したようです。
    当時、私の父は貿易会社に勤めており出張を繰り返す日々でした。
    その為、家に帰ってくるのはいつも遅く、私が寝てから帰宅というのがほとんどでした。

    でも、私の誕生日には、毎年大きなケーキと大きなぬいぐるみを持って早く帰ってきてくれました。
    二人だけの誕生日会。それはとても質素な誕生日会でしたが私には本当に暖かく、かけがえのないものでした。 なので毎年その日が待ち遠しく、私は誕生日までの日にちを数えたりしていました。

    私が小学校に通っていた頃、授業参観がありました。
    低学年の頃は、父に私の学校での生活を見て貰いたくて、ずっと来るようにお願いしていましたが仕事の都合で一度も来て貰えませんでした。

    高学年になると、父の仕事の事情もわかり、わがままを言って
    父を困らせてはいけないと参観日や学校行事の話をしなくなりました。
    そんな中、授業参観の日にクラスの子は、親が来ると恥ずかしいのか母親などに
    「絶対に来ないでっていったのに!」「どうしてきたの?」など言っていました。
    私はそんなことを言えるクラスメイトが羨ましかった。

    父がもし来てくれたら私もそんなこと言うのかなと考えたりしました。
    そんなことを考えるたびに父の仕事を恨みました。

    小学校六年生の時でした。
    その年の誕生日。父は早く帰って来ませんでした。
    私は父の帰宅を我慢することが出来ず寝てしまいました。
    翌日、枕のそばに大きなぬいぐるみがありテーブルの上には大きなケーキがありましたが、
    肝心の誕生日会をしていないということで朝から私は父とケンカをしました。
    ケンカといっても一方的に私が怒っているだけ。私は本当に心ないことをたくさん言いました。

    「参観日にも来られないなんてお父さんは親の資格なんてない!」
    「お父さんは本当は私の事が嫌いなんでしょ!?」

    父は言い返しもせずにただだまって聞いているだけでした。 その事に無性に腹が立ちました。
    そのころ家事などを父と私で分担していたのですが、怒りにまかせて数日間全て放棄してしまいました。

    「父への作文」 →続きを読む

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    1:2011/08/24(水) 02:47:00.32 ID:
    立つかな?

    姉ちゃんの結婚式で親父を見直した →続きを読む

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    510:2006/03/27(月) 13:52:48 ID:
    俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
    まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

    この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
    良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
    こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
    やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。


    あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
    父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
    一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
    でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
    その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

    「星型のにんじん」 →続きを読む

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    1:2008/11/12(水) 18:10:37.14 ID:
    野球始めたのは小1 野球チームに入ったのは小3

    暇だから熱血親父が綴ってくれた俺の野球ノート晒す →続きを読む

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    886:03/01/31 15:51 ID:
    今年の正月に久しぶりに幼なじみの女友達が帰省し、一緒に飲んだときに聞いた話。

    彼女の家は大きな果樹園で普通に育ったのですが、ただ一つ父親が吃音(どもり)気味でした。
    しかしそんなにひどいわけじゃなく

    「よ、よ、よくきたな、あ、あ、あがれ、あがれ」

    文章にしてもうまく伝わらないが、それを早口で言う感じ。
    俺なんかは近所だったんで子供のころから可愛がってもらっていて全く気にしたことなんか無かったし、
    表現はおかしいかもしれないが口癖ぐらいに思ってました。
    それでも彼女は自分の父親のそんな話し方をかなり気にしていたそうです。
    同性に対しては特にそうで、友達は普通にいても父親の話を聞かれたくなく、
    家につれてくることは全くありませんでした。

    そういうのは何となく伝わるもので彼女が中学、高校と成長するごとに溝も大きくなっていきました。
    お父さんは本当はものすごくおもしろい人で俺がリンゴを買いに行ったときなど

    「ひゃ、ひゃ、ひゃく、100円でいいぞ。い、い、今のは、に、に、200円て意味じゃないぞ」

    と自分がどもり気味なのを逆手に取って笑わせてくれるような人でした。(伝わるかな)
    彼女は高校を卒業して都会に就職が決まり家を出て一人暮らしを始めることになりました。
    そのころ父親とは話をすることはほとんどなくなり、お父さんもそのころは元気がないようでした。

    「吃音(きつおん)気味の父」 →続きを読む

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    358:03/06/13 01:02 ID:
    父親が死んで随分経つんです。

    父親はまあ、母親に言わせると「ろくでもない人」で、
    とある自営の仕事についていて、その仕事には随分とお金がかかり、
    家には一銭も金を入れない。母親の稼ぎでうちは食べていたよう。
    裕福な暮らしじゃなかったですよ。借金もあったみたい。

    荒い気性で、カーッとなるとワァワァ五月蠅く手は早く、
    ぼごぼご叩かれたり、縁側から蹴り落とされたりしましたねぇ。
    でも、母親のおかげで食べていけてるという気持ちはあったようで、
    なんかたまにヒクツなところがあったと、子供心に思い出せます。
    ある日突然、心不全でなくなってしまったんですけどね。

    それでね、聞いてください。ついさっきのこと。
    あまり使わない箪笥のひきだしの奥、なんか紙みたいのがつっかえてるんですよ。
    何だろ?と思って取り出してみると、家の設計図みたいなの。
    きれいな図面で、専門家が描いたものだと思います。

    「夢の設計図」 →続きを読む

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