1:2011/12/16(金) 18:24:37.53 ID:
伊藤博文は無類の女好きで天皇から御叱りを受けたとか、そういう事を

5:2011/12/16(金) 18:32:32.50 ID:
天下統一を成し遂げた秀吉だが、唯一文化だけは手に入れることが出来なかった
農民出身で学が無かったために字はすげえ下手糞で、現在の高校生でもなんとか読めるような大文字平仮名だった
恋文も当時の常識(比喩的で優雅であることが求められた)とはかけ離れたもので、
今風に略すと
普通「月が綺麗ですね……」
秀吉「○○たんハァハァちゅっちゅしたいよぉ」
くらいの差があった
「口吸いしたい」とマジに書いて女性に送った

17:2011/12/16(金) 18:53:16.94 ID:
>>6
まあ今は「農民出身」自体否定されてるからなぁ・・・
単純に学問を身につけようという意志がなかったんだろう
7:2011/12/16(金) 18:38:02.30 ID:
どんな話が好みか知らんが適当に

織田信長にまつわる逸話に「浅井朝倉の首で作った髑髏盃」というのがあるが、これはちょっと奇妙な話。
打ち倒した敵の頭蓋骨で盃を作るというのはかなり古い騎馬民族の風習で、モンゴル系の騎馬民族をはじめとして
遠くヨーロッパはブルガリア第一王朝のとある汗もビザンツ皇帝相手にそんなことをやってたりする。
じゃあ何故、直接騎馬民族が侵入してきたことのない日本の人物にそんな逸話がついたんだろうか?

8:2011/12/16(金) 18:39:43.75 ID:
どこの国か忘れたが戦時中にノーベル賞貰った学者がいたんだけど、金メダルを軍に接収されることを恐れて王水に溶かしたやつがいる

※第二次大戦当時、デンマーク在住の化学者であるゲオルグ・ド・ヘヴェシーは、マックス・フォン・ラウエ(反ナチズムの姿勢を明確にしていた)とジェイムス・フランク(ユダヤ人)のノーベル賞の金メダルを預かっていたのだが、よりにもよってそこにナチスが侵攻するという状況となった。この時ヘヴェシーも避難のためデンマークを離れるのだが、メダルそのものを持って行くことはできなかった。しかし預かっていたメダル――ナチスにとっては目の敵というべき存在に贈られたメダルである――をそのままにしておいたらどういう扱いをされるか分かった物ではない。そこで彼は、金メダルを隠すため、両方とも王水で溶かし自分の研究室に保管するという手段を取った。幸いにしてそのメダルを溶かした王水は難を逃れており、戦後、そこから抽出された金を用いて、ラウエとフランクには改めてメダルが贈呈されている。(ニコニコ大百科参照)
14:2011/12/16(金) 18:49:50.78 ID:
地震で一族郎党根絶やしにされて滅んだ戦国武将・内ヶ島氏理さん

内ヶ島氏理(wikipedia) 
16:2011/12/16(金) 18:51:53.37 ID:
どっかの舞台が下に雪が積もってるからパラシュートなしでも大丈夫だって言って全滅したとかさ

※1942年2月のモスクワ南西200kmのユーフノフ付近でのソ連軍降下兵の話。湿地帯の雪の上に高度約10mで低空飛行した輸送機から約千人の降下兵が飛び降りて,半数が骨折もしくは負傷。 残りの兵士も湿地帯で動きが取れず、作戦は失敗。 
20:2011/12/16(金) 18:59:49.22 ID:
戦国時代、全国の農村はそれぞれが一個の勢力として戦うことがままあった
水利権争いなど農村vs農村はもちろんのこと、農村連合vs地侍ということも珍しくなかったらしい
その中で使われる「取り返す」という言葉は「向こうに取られたものと同じだけのものをこちらで取り、奪い返す」という意味だった
21:2011/12/16(金) 19:01:43.94 ID:
夏目漱石の脳は、エタノールに漬けられた状態で東京大学医学部に保管されている

25:2011/12/16(金) 19:13:21.06 ID:
あとは勝海舟の父ちゃんの勝小吉って人、実は幕末最強

大菩薩峠にも出てくる幕末の有名な剣客、島田虎之助を遊郭に
無理やりつれてってこれはかなわんと度肝を抜いたり、
誰でも手合いを受けることで有名な幕末の剣聖男谷信友が
「叔父上(小吉)には歯が立ちません」って言っていた。
また、江戸の侠客新門の辰五郎は小吉の子分格。
このコネは海舟が江戸無血開城交渉が失敗した際に実行する
手はずだった江戸焦土作戦の準備に実際に活きた。

ちなみに息子海舟は、座敷牢に放り込まれていたときに牢内で仕込んだ。


勝小吉(wikipedia) 
27:2011/12/16(金) 19:16:28.49 ID:
北条早雲は40歳を過ぎて歴史に名を残し
50歳を超えて初めて結婚

おまえら自信持てな

29:2011/12/16(金) 19:17:41.83 ID:
>>27
でも政所執事の甥とかいう生まれながらのスーパーエリート様ですしおすし
31:2011/12/16(金) 19:24:53.55 ID:
中二心をくすぐるやつを一つ

不死軍団
アケメネス朝ペルシアの実在の精鋭部隊。メディア人が主で顔に黒い布を巻きつけ
行進してくる。装備は軽装だが機動力と個々の戦力が高く、顔が見えず無言で近づく様は不気味で敵はビビッて士気が落ちたと言われる
一人倒しても次々と戦闘員が補充されることから不死隊と言われた


不死隊(wikipedia)

32:2011/12/16(金) 19:29:47.46 ID:
十字軍でのイスラム方の英雄サラディンはキリスト教圏の苛烈な姿勢とは逆の温情ある統治が知られている
その性格はサラディン自身の私生活においても同様で、風呂場で召使に温度調節のため冷水を持ってくるよう命じたところ、
召使は誤って冷水をサラディンに直接浴びせてしまった
当時の君主ならそのまま召使の命を奪ってもおかしくない過失だが、サラディンは冗談混じりに責めただけだった
召使が何度呼んでも来なかった時もただ笑って済ませたり、質素と貧民への援助を旨としたために死亡時の資産も数えるほどの硬貨しかなかった


サラーフッディーン(wikipedia)

33:2011/12/16(金) 19:30:56.03 ID:
>>32
サラディンはまじで神
つーかあの時代の十字軍はマジでクズすぎる
41:2011/12/16(金) 19:40:00.24 ID:
世界史だとソクラテス。
智人賢人を論破して回って古代ギリシャにその名をとどろかす。
でもニート。超ニート。
嫁のクサンチッペに「そんなことしてないで仕事しろ!」といわれると反論できない。
ソクラテスの嫁さんが古代ギリシャ最強。

42:2011/12/16(金) 19:40:25.41 ID:
本多忠勝のちょっといい逸話教えてください

49:2011/12/16(金) 19:45:08.92 ID:
>>42
信長「古今の英雄の中で最も優れているのは誰だと思う?」

家康「それは貴方様でしょう」

酒井忠次「頼朝公も義満公も安土様にはかないません」

信長「平八、そちはどう思う?」

忠勝「ウチの殿です」
60:2011/12/16(金) 19:58:36.89 ID:
本多忠勝の家臣の大谷
その大谷の草履取りが殉死のときに残した辞世の句

死にとうない ああ死にとうない さりとては
君が情けの 今は恨めし
62:2011/12/16(金) 19:59:28.86 ID:
>>60
いっそ清々しいなwwww好きだわwwww
45:2011/12/16(金) 19:42:19.52 ID:
誰か少年十字軍?について詳しく語ってくれ

47:2011/12/16(金) 19:43:29.73 ID:
>>45
ジェノバの商人に奴隷として売り飛ばされた
48:2011/12/16(金) 19:43:35.40 ID:
>>45
大抵は人買いに騙されて売られたみたいだよ


少年十字軍(wikipedia) 
46:2011/12/16(金) 19:43:00.06 ID:
十字軍の実態

エジブトに行って適当に戦って負ける→ヴァチカンから聖者に認定される

戦わずに和平でイェルサレムを開放する、しかもキリスト教の権利を認めさせる→キリスト教の敵として糾弾される

中世はマジ暗黒時代

51:2011/12/16(金) 19:49:27.46 ID:
十字軍の先鋒は騎士ではなく狂信的な巡礼者達だった
長大な遠征となるため軍隊が即座に出立できるわけもなかったのだが、
十字軍発起の発表に多くの信徒が暴走し、怪しげな僧侶に率いられてエルサレムへと進撃を開始した
ほとんどまともな準備もせずに出発した一行は病や餓え、野盗の襲撃を受けつつも旅路にある村々を
十字軍の名の下に略奪して糊口を凌いでいた
やっと聖地を目前の地点まで辿り着いたはいいものの、当人達が期待していたであろう奇跡は起きず、
そのまま現地のイスラム軍に蹂躙されて逃散、ほとんどが奴隷として売り飛ばされた
56:2011/12/16(金) 19:53:54.33 ID:
クズ過ぎる十字軍

十字軍「イェルサレムにいくぞー!」

教皇「メンゴメンゴ、金足りなくなったわ」

輸送担当のヴェネチア「金払えないなら十字軍借りるぞ」

ハンガリーで略奪、破壊

ヴェネチア「まだ足りんわ」

東ローマで略奪、破壊

聖地関係なさ杉ワロタ
57:2011/12/16(金) 19:56:16.88 ID:
>>56
でもそれをしなかったらヴェネチアが滅亡していたのも事実な訳で
契約の金と人間を用意できなかったフランス諸侯が悪いといえばそれまでで…
ぶちゃけ聖地奪還しても利益にならないって皆知ってた訳で…
101:2011/12/16(金) 20:34:27.31 ID:
十字軍の時代に中東に暗殺者教団という勢力があった
ハッシシ(麻薬)を吸う者と呼ばれアサシンの語源
麻薬による酩酊状態で自らの危険を省みずに切りかかってくるテロリスト
対象はキリスト教勢力だろうと同じムスリムだろうと問わない
山の上に砦を築いて報復が怖いので誰も手出しできなかった
十字軍の大物モンテフェラート公も殺られてる


暗殺教団(wikipedia) 
53:2011/12/16(金) 19:51:37.82 ID:
DQN四天王(森長可、伊達政宗、細川忠興、島津忠恒)でググッて見てくれ 
イタリア軍伝説でググッて見てくれ

DQN四天王(アンサイクロペディア)
イタリア軍最強伝説 
55:2011/12/16(金) 19:53:30.20 ID:
たった一匹の豚から起きた史上もっとも下らない戦争
死んだのは豚一匹


ブタ戦争(wikipedia)
59:2011/12/16(金) 19:57:30.28 ID:
家康脱糞事件は有名すぎるか

※三方ヶ原の戦い・・・武田信玄軍2万7,000~4万3,000人と徳川家康、織田信長からの連合軍1万1,000~2万8,000人との間で行われた戦い。信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。夏目吉信に代表される身代わりに助けられて、命からがら浜松城に逃げ帰った家康自身も馬上で脱糞したといわれている。この時の家康の苦渋に満ちた表情を写した肖像画(しかみ像)が残っており、これは自身の戒めのために描かせたものと伝えられる

75:2011/12/16(金) 20:13:13.68 ID:
日本の歴史上比叡山焼き討ちを行ったのは
足利義教、細川政元、織田信長の三人
この三人全てが家臣によって殺されてる
76:2011/12/16(金) 20:14:29.90 ID:
15代将軍徳川慶喜は日本人で始めて自転車に乗った人(多分)
街中で乗り回してる最中にバランス崩して反物屋だかの店先に突っ込み、栄えある日本人の自転車事故被害者第一号になった

80:2011/12/16(金) 20:17:06.46 ID:
>>76
もっと早く自転車が伝来してれば暴れん坊将軍がチャリンコで走り回ってたのか・・・
81:2011/12/16(金) 20:17:10.97 ID:
ロシアのバイカル湖には20万を超える人間の死体が沈んでいる
ロシア革命の際、赤軍が優勢となった西部から100万を超える白軍や貴族の一族郎党が東部への逃避行を始めた
しかし、途上で多くの者が厳しい寒さに倒れ、その数は20万にまで減った
その20万も遥かシベリアを目指して凍ったバイカル湖を渡っている間に次々に脱落し、死体の列だけができあがった
やがて春を迎えて氷が溶けたため、その膨大な数の死体は湖の底へと沈んでいった


バイカル湖にまつわる悲劇(カラパイア)

87:2011/12/16(金) 20:19:52.01 ID:
万暦帝は25年間後宮に引きこもった

万暦帝(wikipedia)

89:2011/12/16(金) 20:21:41.68 ID:
勝海舟がアメリカから帰ってきたときに「アメリカは日本とどう違った?」と上司に問われた時に
「アメリカは日本と違って上に立つ人物ほど優秀です」と答えて怒られたのは有名だけど

当の勝海舟もアメリカ行きの船の中では船酔いで役立たずだったのにアメリカに着くなり「俺が船長だ!!」と偉そうに振る舞っていたから伊藤博文がウザがってた

97:2011/12/16(金) 20:29:12.95 ID:
>>89
うざがってたのは確か同船した福沢さんかな
伊藤博文、井上馨ほか長州の俊傑は、幕府方の長州擁護筆頭の勝海舟には
死ぬまで頭が上がらなかった
94:2011/12/16(金) 20:26:52.30 ID:
上杉謙信と武田信玄は宿敵同士だったが、
信玄が自国の塩不足で悩んでた時謙信は塩を送っている
これが「敵に塩を送る」の元ネタ

で、その後信玄から礼が送られてきたんだが
セットになってた手紙に
「すぎかれてたけたぐひなきあしたかな」(将来上杉は枯れ果てて逆に武田は敵無しヒャッホーイ)
という超失礼な短歌が書かれてた
謙信はちょい改変して
「まつかれてたけだくびなきあしたかな」(将来首無いのは武田の方だバーカ)
みたいな返事書いた

>>89
実際は船長経験のある外人雇ってその人が頑張ってたんだよな
で、アメリカに着いた時に
勝海舟「ついに日本人の手で航海成功だな!」とかホルホルして呆れられた

128:2011/12/16(金) 21:37:36.30 ID:
武田信玄の戒名?がすごいんだっけか
91:2011/12/16(金) 20:24:01.50 ID:
誰か山本五十六の逸話を教えてくれ

95:2011/12/16(金) 20:27:36.24 ID:
>>91
あまりにカジノで勝ち過ぎたためモナコ出入り禁止
96:2011/12/16(金) 20:27:50.45 ID:
>>91
常日頃から「引退したらモナコに住んで、ルーレットで金を巻き上げてウハウハに暮らすんだ」
と周囲に語ってきたが、現役のうちに勝ちすぎて出禁にされた 
105:2011/12/16(金) 20:36:10.18 ID:
あとね、ものすごい甘党だったから
山本艦隊の旗艦には「虎屋の羊羹を切らしてはならない」という鉄の掟があった
112:2011/12/16(金) 20:47:35.58 ID:
古代の力士は天皇が自ら探して回るほどのトップアスリートだった
126:2011/12/16(金) 21:30:55.82 ID:
くりぃむ上田の祖先、上田大将(ウエダノタイショウ)
鎌倉幕府の倒幕時代前後で活躍
なぜか移動手段には遅いポニーを用いたポニー愛好家
老年後は大根を中心に農作を行い生計を建てた
名言「お前ら大根中心に生きてってかまわんよ」
92:2011/12/16(金) 20:24:23.65 ID:
ナポレオンは寝る前に妻に本を読んでもらっていたとか
130:2011/12/16(金) 22:10:34.47 ID:
逸話じゃないけど
ナポレオンのアルプス越えの理想


現実
141:2011/12/16(金) 22:51:49.02 ID:
ナポレオンがロシアに侵攻したのは6月22日
ナチスドイツがソ連に侵攻し独ソ戦を始めたのも6月22日
ソ連軍がバグラチオン作戦を開始しドイツ軍の戦線を崩壊させドイツ本国領内を地獄に変えたのも6月22日
143:2011/12/16(金) 23:02:45.77 ID:
>>141
それドイツの場合はヒトラーがナポレオンの大ファンだからで
ロシアの方は単に意趣返し的な効果を狙ったもんじゃないの
135:2011/12/16(金) 22:29:52.70 ID:
女神転生でおなじみ、平将門公
①夢にアマテラスオオミカミが現れて「新しい天皇を名乗りなさい」→「新皇」を名乗り挙兵
②討ち取られ、京都でさらし首になっている間、ずっと呪詛の言葉を吐いていたとか
③その首はその後、関東地方に向かって飛んでったとか、短歌を詠まれた後高らかに笑って消えたとか
諸説あり
④家康が首塚を守るように神社をおいたとか、丸の内ビルの机は首塚に背中をみせないよう配置してあるとか
⑤首塚動かそうとして工事関係者に次々と不幸が起こったり、爆笑問題の太田がドロップキックくらわせて
しばらく仕事こなかったとか(死ななかっただけマシでは
⑥刃が片面だけの「日本刀」を最初につくらせたのは将門公と言われている
有名なとこばかりですが


「平将門の首塚」の祟りが怖すぎる(NAVERまとめ)


136:2011/12/16(金) 22:32:24.26 ID:
>>135
GHQも恐れたよな
121:2011/12/16(金) 21:12:26.52 ID:
光源氏はロリでマザコン
つまりおまえら

違いは血と顔と才能と教養